消極的に自分自身を放棄・放任するセルフ・ネグレクト
なぜ彼らは人生を放棄してしまうのか
5. 「助けて」といえる相手と自分の居場所をつくっておく
人には、健康に悪いとわかっていても、あえてそれを行う自由があります。喫煙や過剰なアルコール摂取などがこれにあたり、その自由は「愚行権」と呼ばれています。つまり、ほかの人から見ると愚かな行為だと評価されても、個人の領域に関する限り、邪魔をされない権利、それが愚行権です。
セルフ・ネグレクトは個人の自由意思に基づくものですから、法律に反しない限り、基本的人権が保証されている日本では強制的にその行為を止めさせることはできません。同様に、支援の手を差し伸べても拒否されれば、それ以上のことはできません。
では、セルフ・ネグレクトを放っておいてもよいかというと、私はそうは考えません。
たとえ自由意思に基づく自己決定だとしても、社会がセルフ・ネグレクトの人に支援の手を差し伸べないことは、支援が必要と判断できる人を社会が放任(ネグレクト)することにほかならないからです。
私は、その行為が意図的か意図的でないかにかかわらず、生命や健康が損なわれている状態にあると判断できる場合は、介入することを原則とすべきだと思っています。
しかし、セルフ・ネグレクトが意図的か意図的でないかを判断することは、認知症や精神疾患の場合もあるので、それほど簡単なことではありません。また、認知症や精神疾患でなくても、たとえば幼い頃に親から受けた影響が強く、常に親の指示に従っていた人の場合、自分の判断で行為を決めることが困難な状態にある人もいます。
客観的に生命や健康が損なわれている状態にあると判断できても、その背景を見極めることが非常に難しいのです。
ここまでセルフ・ネグレクトについて、その歴史やリスク要因、孤立死との関係、支援の難しさなどについてお話ししてきました。
セルフ・ネグレクトは、悲しいライフイベントや予期せぬ失職など、強い喪失感に襲われ、抑うつ状態になったりすることが原因で起きることが少なくありません。ということは、誰にも起こりうることです。
自分がセルフ・ネグレクトに陥らないようにするには、いざというときに「助けて」といえる相手と自分の居場所をつくっておくことが重要です。また、人に助けてもらうことになれておくこと、逆に人を手助けすることになれておくことも重要
です。いわゆる自助と互助です。
人は誰でも年をとります。高齢になれば身体能力も判断能力も低下します。そのときSOSを発信できるようにいまから準備しておいてほしいと思います。
※本コンテンツはCOCORO35号をもとに再構成しています
セルフ・ネグレクトは個人の自由意思に基づくものですから、法律に反しない限り、基本的人権が保証されている日本では強制的にその行為を止めさせることはできません。同様に、支援の手を差し伸べても拒否されれば、それ以上のことはできません。
では、セルフ・ネグレクトを放っておいてもよいかというと、私はそうは考えません。
たとえ自由意思に基づく自己決定だとしても、社会がセルフ・ネグレクトの人に支援の手を差し伸べないことは、支援が必要と判断できる人を社会が放任(ネグレクト)することにほかならないからです。
私は、その行為が意図的か意図的でないかにかかわらず、生命や健康が損なわれている状態にあると判断できる場合は、介入することを原則とすべきだと思っています。
しかし、セルフ・ネグレクトが意図的か意図的でないかを判断することは、認知症や精神疾患の場合もあるので、それほど簡単なことではありません。また、認知症や精神疾患でなくても、たとえば幼い頃に親から受けた影響が強く、常に親の指示に従っていた人の場合、自分の判断で行為を決めることが困難な状態にある人もいます。
客観的に生命や健康が損なわれている状態にあると判断できても、その背景を見極めることが非常に難しいのです。
ここまでセルフ・ネグレクトについて、その歴史やリスク要因、孤立死との関係、支援の難しさなどについてお話ししてきました。
セルフ・ネグレクトは、悲しいライフイベントや予期せぬ失職など、強い喪失感に襲われ、抑うつ状態になったりすることが原因で起きることが少なくありません。ということは、誰にも起こりうることです。
自分がセルフ・ネグレクトに陥らないようにするには、いざというときに「助けて」といえる相手と自分の居場所をつくっておくことが重要です。また、人に助けてもらうことになれておくこと、逆に人を手助けすることになれておくことも重要
です。いわゆる自助と互助です。
人は誰でも年をとります。高齢になれば身体能力も判断能力も低下します。そのときSOSを発信できるようにいまから準備しておいてほしいと思います。
※本コンテンツはCOCORO35号をもとに再構成しています